共通テスト(公民) 過去問
令和8年度(2026年度)追・再試験
問2 (公共,倫理(第3問) 問2)

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問題

共通テスト(公民)試験 令和8年度(2026年度)追・再試験 問2(公共,倫理(第3問) 問2) (訂正依頼・報告はこちら)

次の場面の会話文を読み、後の問いに答えよ。なお、会話と問いの生徒Gと生徒Hは、各々全て同じ人物である。

場面1  放課後、教室で生徒Gと生徒Hが次の会話をしている。

G:落ち込んでいるみたいだけど、何かあったの?
H:昨日、小学校以来の親友とケンカして。何でも話せる相手だと思って、本音で話したことが相手を傷つけてしまったみたい。傷つけるつもりはなかったから謝ったけど、a 他の人への思いやりがない、って言われてしまったよ。
G:仲直りはしたんでしょう?
H:一応ね…。だけど、モヤモヤするんだよね。高校も別で、環境も違うから、価値観も変わって、昔のようにわかり合えないのではないかと思って。
G:私は、ちゃんと話し合えばわかり合えると思う。同じ人間なんだから、みんなに共通する何かはあると思うし、理解できるはずだよ。
H:そういう誰にでも当てはまることなんて本当にあるのかなぁ。
G:うーん…。倫理の授業で道徳のb 普遍性について学んだことは参考にならないかな?道徳法則は自然法則と同じように普遍的だ、っていうカントの思想についても習ったよね。
H:それを言うなら、現代の科学論では、c 科学的知識が普遍的とは言い切れないという議論があるとも習ったよね。科学すら普遍的じゃないなら、価値観はなおさら人それぞれ違って、わかり合うことは難しいと思う。
G:そう考えることもできるのかなぁ。それでも、私には、困難を乗り越えてわかり合うこともやっぱり大切に思えるけどな…。そういえば、明日の倫理の授業のテーマは「他者」だったから、何かヒントにならないかな。

下線部bに関連して、普遍的なものについての思想家の考えの説明として最も適当なものを、次のうちから一つ選べ。
  • ゴータマ・ブッダは、自らが悟った普遍的な真理を説いたが、その中心にあるのは、「諸行無常」などの四法印である。
  • ムハンマドは、アッラーに対する信仰の有無によらない、人類全体の普遍的な共同体として、ウンマがあると説いた。
  • 朱子は、易姓革命によって成立した周王朝のあり方に普遍的な原理を見いだし、これを「心即理」と呼んだ。
  • ウィリアム・オッカムは、概念や言葉ではなく外界に存在する事物こそが普遍的であると主張し、近代科学の先駆けとなった。

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この過去問の解説 (1件)

01

「下線部bに関連して」とありますが、下線部bとは「普遍性」です。

では、Gさんは何を言っているのか。

「倫理の授業で道徳の普遍性について学んだことは参考にならないかな?道徳法則は自然法則と同じように普遍的だ、っていうカントの思想についても習ったよね」

普遍性とは共通原理のことをいいますが、Gさんのいう普遍性とは「道徳法則は自然法則と同じように普遍的だ、っていうカントの思想についても習ったよね」という文言から全ての者に共通する道徳原理のことをいいます。

もう少し検討していきます。

例えば、刑法204条には「人の身体を傷害した者は、15年以下の拘禁刑又は50万円以下の罰金に処する」とあります。

ここでいう「傷害」という文言の意味は人の身体の完全性を侵害したことをいうとする完全性侵害説や人の身体の生理的機能を傷害したものをいうとする生理的機能傷害説、その他様々な見解があり、判例(最判昭和27年6月6日刑集第6巻6号795頁)は「傷害罪は他人の身体の生理的機能を毀損するものである」としています。

通説的見解もこの生理的機能傷害説です。

そして犯罪の処罰については古くから二つの対立する見解があります。

一つの見解は、犯罪の処罰は反規範人格態度に対する道義的非難つまり、それが違法であると知り、その行為をしないという選択肢があったにも関わらずあえて違法な行為をしたという事に対する非難というのです(これを行為無価値論という)

つまり行為無価値論によれば刑法204条は「他人の身体を傷害する」という行為が違法であるということを知り、これをしないという選択肢があったにもかかわらずあえてそれをしたことに対して非難するということです。

一方、もう一つの見解は犯罪の処罰は法益侵害に対する制裁というのです(これを結果無価値論という)

結果無価値論によれば刑法204条は「他人の身体を傷害し」とあるのは「他人の身体」という法律上保護される利益(これを法益という)を侵害(傷害)したことに対して制裁を科すという。

通説はこの折衷説である「二元論」という見解であり、犯罪の処罰はそれが違法であると知り、その行為をしないという選択肢があったにもかかわらずあえて違法な行為をしたという事に対する非難であるとしつつ、侵害された法益に対する制裁という側面もあるという。

ここまで刑法204条つまり「他人の身体を傷害」してはならない理由、換言すればなぜ他人の身体を傷害すれば罰せられるかについて説明してきましたが、では「なぜ人の身体を傷害してはならないか」と問われたときにどう回答するか。

上で述べたように刑法204条と行為無価値論又は結果無価値論若しくは二元論から説明する人はなかなかいないかと。

法の世界には「法の不知はこれを許さず」といい、全ての者が全ての法律を知り尽くしているということになってますが、現実問題全ての法律を知っている人なんてほとんどいません。

現に刑法204条についても「刑法204条て知ってる?」て聞いたとしても知らないという人がほとんどかと思われます。

しかし、他人の身体を傷つけることが悪いことというのは検討するまでもなくほとんどの者が知っていることです。

刑法204条はほとんどの者が知らないのに他人の身体を傷つけてはならないということはほとんどの者が知っているのです。

このことからGさんのいう「道徳法則は自然法則と同じように普遍的だ」とは全ての者に共通する道徳原理をいうのです。

つまり問題の指示する「下線部bに関連して、普遍的なものについての思想家の考えの説明として最も適当なもの」とは人々に共通する道徳原理について説明する記述はどれかということです。

選択肢1. ゴータマ・ブッダは、自らが悟った普遍的な真理を説いたが、その中心にあるのは、「諸行無常」などの四法印である。

「「諸行無常」などの四法印である」とあります。

 

四法印

諸行無常 この世の全ては常に変化し、同じものは二度とない

諸法無我 全ての存在は互いに関係しあっている

一切皆苦 思い通りにならないことに執着することが苦しみを生む

涅槃寂静 煩悩や執着が消え穏やかな境地

 

そして行動規範として五戒があります

五戒

不殺生戒 故意に生物を殺してはならない

不偸盗戒 盗んではならない

不邪淫戒 不道徳な性的行為をしてはならない

不妄語戒 嘘をついてはならない

不飲酒戒 酒を飲んではならない

 

「自らが悟った普遍的な真理を説いた」とあるように四法印は全ての者にいえる普遍的なものであるという。

ではこの四法印と行為規範であり道徳法則の五戒にはどのような関係があるのでしょうか。

例えば不飲酒戒を例に考えましょう。

「酒を飲んではならない」というルールには法益つまりそのルールによって保護すべき利益があります。

酒を大量に飲んだ状態で涅槃寂静といえるのでしょうか。

つまり、道徳法則であり行為規範である五戒と保護法益である四法印があるということです。

五戒は四法印という普遍的な真理に反する行為の類型ということです。

以上から下線部bに関連して、普遍的なものについての思想家の考えの説明として最も適当なものといえます。

選択肢2. ムハンマドは、アッラーに対する信仰の有無によらない、人類全体の普遍的な共同体として、ウンマがあると説いた。

「アッラー」という文言からイスラム教に関するものです。

イスラム教はアッラーを唯一神とし、アッラーを信仰する者が幸せになるという教えです。

人々はアッラーの前では平等という考え方です。

よって「信仰の有無によらない」とする部分がそもそも誤っており、この記述自体正しくありません。

よって問題の指示する「下線部bに関連して、普遍的なものについての思想家の考えの説明として最も適当なもの」というところを検討するまでもなく正答ではありません。

選択肢3. 朱子は、易姓革命によって成立した周王朝のあり方に普遍的な原理を見いだし、これを「心即理」と呼んだ。

朱子が説いたのは性即理なので正答ではありません。

 

せっかくなので解説していきます。

儒教において「格物致知」というものがあります。

格物致知とはなにかというと、その解釈について朱子が考えたのが性即理であり、王陽明が考えたのが心即理です。

 

まず、性即理とは人間には性(道徳的に良い心)と情(欲望、感情等)があり、後者に流されず前者にて生きるために勉学に励むこと。

一方、心即理はこの性と情という二つの側面があるところを否定し、人間には生まれながら道徳的に正しい心が備わっており、これに従って生きよという。

 

この儒教の格物致知の解釈として心即理と性即理があるのです。

選択肢4. ウィリアム・オッカムは、概念や言葉ではなく外界に存在する事物こそが普遍的であると主張し、近代科学の先駆けとなった。

ウィリアム・オッカムの「概念や言葉ではなく外界に存在する事物」とはどういうことか。

刑法204条を例に検討していきます。

まず、全ての者に共通する道徳法則として「他人の身体を傷つけることは悪いこと」というのがあります。

ウィリアム・オッカムのいう「概念や言葉」とはこういうことです。

つまり全ての者に共通する道徳法則というものはないということです。

外界に存在する事物つまり、法律と法益のみが存在するというのです。

この理屈でいえば刑法204条は「道徳法則に違反した」ではなく「刑法204条に違反し、人の身体という法益を侵害した」ことに対して非難するのです。

「人の身体を傷つけてはならない」という道徳法則はなく、あるのは刑法204条という法律のみという考え方です。

この法律に違反し法益を侵害したことに対して非難をするという考え方です。

これを法実証主義といいます。

よって問題の指示する「下線部bに関連して、普遍的なものについての思想家の考えの説明として最も適当なもの」という指示に反するので正答ではありません。

まとめ

今回の問題は「普遍性について学んだことは参考にならないかな?道徳法則は自然法則と同じように普遍的だ」という部分を深掘りしていく問題です。

法の不知はこれを許さずといいますが、現実問題法を全て知っている人なんて見たことないです。

しかし「他人の物を盗むのは悪いこと」「他人を傷つけるのは悪いこと」ということは誰しもが分かることです。

この誰もがわかる道徳原理について歴史や宗教といったところから各思想家はどう説明したのかということが問われているのです。

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