大学入学共通テスト(公民) 過去問
令和6年度(2024年度)追・再試験
問32 (<旧課程>倫理(第1問) 問1)

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問題

大学入学共通テスト(公民)試験 令和6年度(2024年度)追・再試験 問32(<旧課程>倫理(第1問) 問1) (訂正依頼・報告はこちら)

以下を読み、後の問いに答えよ。なお、会話と問いのAとBは各々全て同じ人物である。

次の会話は、ある日の放課後に高校生AとBが交わしたものである。

A:うちの担任、a 比喩やたとえが好きだよね。今日のホームルームで言ってた「人生はエクレア*のようだ」って比喩の意味、どう思う?明日のホームルームで説明するからそれまでに意味を考えてくるよう言われたでしょ。
B:ぼんやり食べてるとクリームが垂れちゃうってことじゃない?チャンスは逃すな、という感じかな。よく言われることだけれど、エクレアのクリームを気にしながら食べるイメージのおかげでb 言いたいことがよく伝わるよ。
A:そうなの?私にとってエクレアはただ甘いものってイメージだから、人生はエクレアのように甘いって意味だと思っていたよ。
B:いや、さすがにそのc 解釈は間違っているんじゃないかな。人生が甘いだなんて、高校の先生がそんなメッセージは生徒に伝えないよ。
A:それもそうか…。あ、もしかしたら先生、堂々とそんなこと学校で教えられないから、比喩でそのメッセージを伝えようとしたのかも!
B:どうだろう、あの先生の口癖「人生をなめちゃだめ」だし。比喩ってなんか怖いな、自分の言いたいことが違う意味で、もしかしたらまったく逆の意味で理解されるかもしれないなんて。
A:でも、それだけ色々な意味が込められるところにこそ、比喩の価値はあるんじゃないかな。もしかしたら比喩を生み出すことのできるd 言葉そのもののすばらしさもそこにあるのかもしれない。
B:そういえば倫理の授業で古代の思想や宗教について勉強したとき、色々な比喩が出てきたよね。一緒に図書館に行って探してみようか。

*エクレア:細長いシュークリームの上にチョコレートをかけた洋菓子

下線部aに関して、比喩やたとえを用いた思想や教えについての説明として最も適当なものを、次の回答選択肢のうちから一つ選べ。
  • イエスは、当時ユダヤ教において異教徒とみなされていたサマリア人が、負傷したユダヤ人を助けるというたとえによって、同胞愛を否定した。
  • 孟子は、幼児が井戸に落ちかけているのを見れば誰もが、助けないのは恥ずかしいと思って行動するというたとえで、惻隠の心を説明した。
  • プラトンは、太陽があらゆる現象の元となっているように、正義のイデアが他のあらゆるイデアの成立の根拠となっていると考えた。
  • 仏教では、煩悩の代表的な三つである貪(欲望)・瞋(怒り)・癡(愚かさ)を、毒にたとえて三毒と呼んだ。

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この過去問の解説 (2件)

01

思想や宗教における比喩に関する問題です。

選択肢1. イエスは、当時ユダヤ教において異教徒とみなされていたサマリア人が、負傷したユダヤ人を助けるというたとえによって、同胞愛を否定した。

誤りです。

イエスは、サマリア人が負傷したユダヤ人を助けるというたとえによって、

同胞愛を超えた隣人愛を説きました。

選択肢2. 孟子は、幼児が井戸に落ちかけているのを見れば誰もが、助けないのは恥ずかしいと思って行動するというたとえで、惻隠の心を説明した。

誤りです。

孟子は性善説を説いた思想家です。

「惻隠の心」は人の不幸に対する同情心であり、

「恥ずかしいから」ではありません。

選択肢3. プラトンは、太陽があらゆる現象の元となっているように、正義のイデアが他のあらゆるイデアの成立の根拠となっていると考えた。

誤りです。

プラトンは、太陽があらゆる現象の元となっているように、

善のイデアが他のあらゆるイデアの成立の根拠となっていると考えました。

選択肢4. 仏教では、煩悩の代表的な三つである貪(欲望)・瞋(怒り)・癡(愚かさ)を、毒にたとえて三毒と呼んだ。

正しいです。

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02

この問題では、選択肢に登場する思想家の基本的な考え方を覚えておく必要があります。文章の解釈は少し難しいものもありますが、語句の意味を確実に理解していれば正解できるはずです。それでは見ていきましょう。

選択肢1. イエスは、当時ユダヤ教において異教徒とみなされていたサマリア人が、負傷したユダヤ人を助けるというたとえによって、同胞愛を否定した。

イエスは、人間が守るべき二つの戒めとして、「神への愛」と「隣人愛」を説きました。「自分を愛するようにあなたの隣人を愛せよ」と説くイエスは「同胞愛を否定した」のではありません。正しい表現は、「隣人愛を広げた」となります。

選択肢2. 孟子は、幼児が井戸に落ちかけているのを見れば誰もが、助けないのは恥ずかしいと思って行動するというたとえで、惻隠の心を説明した。

孟子は、性善説で人間の内面から自然に溢れ出る「親愛の情」を基礎として、人間は本来善に向かおうとする存在であると説きました。そして、「四端」と呼ばれる人間に生まれながら備わる善の資質を説きます。この問題にある「惻隠の心」は、他人の不幸を見過ごすことのできない同情心を指します。「恥ずかしいから助ける(行動する)」と言っているのではありません。

選択肢3. プラトンは、太陽があらゆる現象の元となっているように、正義のイデアが他のあらゆるイデアの成立の根拠となっていると考えた。

プラトンは、魂とは何か、善とは何かを明確にしようとしました。その中で真の実在である「イデア」を説き、その中でも最高なものを「善のイデア」であるとしました。この問題は、プラトンの思想を例えた「洞窟の中の囚人」に関するものです。「洞窟の中の囚人」は、「人はちょうど洞窟の入り口を背にして、影を実在と信じている囚人のようなものである。彼らは振り返って太陽を見ることが出来ない」と例えた話です。この時、「太陽」というのが「善のイデア」を表します。よって、「正義のイデア」ではなく「善のイデア」が正解となるため、この文章は不適当になります。

選択肢4. 仏教では、煩悩の代表的な三つである貪(欲望)・瞋(怒り)・癡(愚かさ)を、毒にたとえて三毒と呼んだ。

仏教では、苦が生じる理由を「煩悩」であるとしました。その煩悩は三毒と我執(自我への執着、所有欲など)の2つに分けます。その三毒には、「貪」(貪ること)・「瞋」(怒ること)・「癡」(愚かしさ)の3つがあります。よって、この文章は適切です。

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