大学入学共通テスト(公民) 過去問
令和5年度(2023年度)本試験
問43 (<旧課程>倫理(第2問) 問5)
問題文
次のレポートは、江戸時代において、どのような場面で「問い」が発せられていたかについて、Cがまとめたものである。
レポート
江戸時代には特定の文献を基に、仲間同士で問いと応答を交わす「会読」が流行し、伊藤仁斎も行った。問答形式で書かれた『童子問』で、d仁斎は「仁」について、「我よく人を愛すれば、人またよく我を愛す」と説いている。
また、e吉田松陰が牢獄で囚人たちと行った、『孟子』の会読も印象深かった。松陰は獄中でも、『孟子』の内容を切実に問うた。どんな境遇でも、誰に対しても、問いは生まれるものなのだと、私は松陰から教えられた。
下線部eに関して、Cは、次の資料を基に、後のスピーチを同級生に向けて行った。吉田松陰の思想と資料の内容を踏まえて、スピーチ中のa・bに入る記述の組合せとして最も適当なものを、後の回答選択肢のうちから一つ選べ。
資料
いま我々は囚人となり、また世間に出て陽(ひ)の目を見ることも望めない。お互いに学問を講じても……、何の功利があるだろうか云々(うんぬん)、というのは、いわゆる利の説である。仁義の説はそうではない。……人と生まれて人の道を知らず……士と生まれて士の道を知らないのは、恥の最たるものではないか。もしこれを恥じる心があるならば、書を読み道を学ぶより他に方法はない。
(吉田松陰『講孟余話』より)
スピーチ
これは( a )を説いた吉田松陰が、獄中での『孟子』の会読と講義の意義を論じた文章です。松陰は獄中でも、問いをもって『孟子』を読みました。松陰は資料で、( b )ために問い、学ぶべきだと言うのです。……
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問題
大学入学共通テスト(公民)試験 令和5年度(2023年度)本試験 問43(<旧課程>倫理(第2問) 問5) (訂正依頼・報告はこちら)
次のレポートは、江戸時代において、どのような場面で「問い」が発せられていたかについて、Cがまとめたものである。
レポート
江戸時代には特定の文献を基に、仲間同士で問いと応答を交わす「会読」が流行し、伊藤仁斎も行った。問答形式で書かれた『童子問』で、d仁斎は「仁」について、「我よく人を愛すれば、人またよく我を愛す」と説いている。
また、e吉田松陰が牢獄で囚人たちと行った、『孟子』の会読も印象深かった。松陰は獄中でも、『孟子』の内容を切実に問うた。どんな境遇でも、誰に対しても、問いは生まれるものなのだと、私は松陰から教えられた。
下線部eに関して、Cは、次の資料を基に、後のスピーチを同級生に向けて行った。吉田松陰の思想と資料の内容を踏まえて、スピーチ中のa・bに入る記述の組合せとして最も適当なものを、後の回答選択肢のうちから一つ選べ。
資料
いま我々は囚人となり、また世間に出て陽(ひ)の目を見ることも望めない。お互いに学問を講じても……、何の功利があるだろうか云々(うんぬん)、というのは、いわゆる利の説である。仁義の説はそうではない。……人と生まれて人の道を知らず……士と生まれて士の道を知らないのは、恥の最たるものではないか。もしこれを恥じる心があるならば、書を読み道を学ぶより他に方法はない。
(吉田松陰『講孟余話』より)
スピーチ
これは( a )を説いた吉田松陰が、獄中での『孟子』の会読と講義の意義を論じた文章です。松陰は獄中でも、問いをもって『孟子』を読みました。松陰は資料で、( b )ために問い、学ぶべきだと言うのです。……
- a 「誠」を掲げて、自己の心情の純粋さを追い求めること
b 道をわきまえぬことを恥じる心に基づき、人としての道を知る - a 「一君万民論」を唱えて、天皇のもとで国民が一体となること
b 恵まれた境遇が巡ってきたときに、力を発揮する - a 武士道を儒学により体系化し、「士道」という武士のあり方を守ること
b 士として生まれた以上、どんな境遇でも、士の道を知る - a 「死ぬこと」に武士道の本質を見いだし、ひたすら主君に献身すること
b 書物の世界に没頭し、囚人という境遇から自由になる
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この過去問の解説 (3件)
01
知識と資料内容が問われる問題です。
この手の問題は、まず知識から2択に絞り、その後資料内容から1つに絞りきります。
b 道をわきまえぬことを恥じる心に基づき、人としての道を知る
これが解答です。
a:◯
選択肢の文章の通りです。
彼の中心的な論理である一君万民論においても、「誠」を尽くして忠君すべきことが述べられています。
b:◯
資料より
「人と生まれて人の道を知らず……士と生まれて士の道を知らないのは、恥の最たるものではないか。」
と述べられており、bはそれをうまく反映しています。
b 恵まれた境遇が巡ってきたときに、力を発揮する
不適です。
a:◯
選択肢の文章の通りです。
彼は松下村塾という私塾を開き、彼の獄死後もその門下生によって思想は引き継がれ、それは明治維新という形式で結実しました。
b:✕
資料では全くそのようなことは述べられていません。
むしろ、獄中という辛い環境で学問に利を感じないとしてもその義務から学ぶ姿勢を保っています。
b 士として生まれた以上、どんな境遇でも、士の道を知る
不適です。
a:✕
誤文です。
これは山鹿素行の「士道」の考え方です。
b:◯
「士と生まれて士の道を知らないのは、恥の最たるものではないか。」
とありますので正文です。
b 書物の世界に没頭し、囚人という境遇から自由になる
不適です。
a:✕
誤文です。
これは山本常朝の考え方です。
b:✕
資料から「囚人という境遇から自由になる」という意図は読み取れません。
むしろ、囚人という境遇を受け入れそれでも学問をしようという態度です。
吉田松陰は倫理分野としてはマイナーな知識のため難しかったかもしれません。
ですが、今回問題を解いたことで様々な知識がついたでしょうから、
わからなかった方も次に同様の問題が出たときに間違えなければ大丈夫です。
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02
吉田松陰は、江戸時代後期の長州藩の武士です。
ペリー艦隊への密航未遂により投獄されました。
b 道をわきまえぬことを恥じる心に基づき、人としての道を知る
適当です。
a:適当です。
「誠」は、吉田松陰が重視した思想の一つです。
吉田松陰にとっての「誠」とは、
自分の内面と行動が一致する真実の生き方を意味します。
孟子の言葉を引用した「至誠にして動かざるものは、まだこれあらざるなり」という言葉が有名です。
b:適当です。
資料の「もしこれを恥じる心があるならば、書を読み道を学ぶより他に方法はない。」という文章から、吉田松陰は
「道をわきまえぬことを恥じる心に基づき、人としての道を知るために問い、学ぶべき」と言っていることが分かります。
b 恵まれた境遇が巡ってきたときに、力を発揮する
不適当です。
a:適当です。
つまり吉田松陰は、天皇を国家の最高権威とし、
その下にすべての国民が忠誠を尽くすべきだとしました。
b:不適当です。
これは利の説に基づいた解釈です。
資料には「世間に出て陽の目を見ることも望めない、何の功利があるか分からないが、書を読み道を学ぶより他に方法はない。」
という意味のことが書かれているため、不適切です。
b 士として生まれた以上、どんな境遇でも、士の道を知る
不適当です。
a:不適当です。
これは山鹿素行についての説明です。
吉田松陰は山鹿流兵学の継承者で、その思想に強く影響を受けています。
b:適当です。
資料の「士と生まれて士の道を知らないのは、恥の最たるものではないか。」
という文章から、吉田松陰は
「士として生まれた以上、どんな境遇でも、士の道を知るために問い、学ぶべき」
と言っていることが分かります。
b 書物の世界に没頭し、囚人という境遇から自由になる
不適当です。
a:不適当です。
これは葉隠(はがくれ)の著者である佐賀藩士、山本常朝についての説明です。
吉田松陰は武士道精神を重んじ、天皇に忠誠を尽くすべきだとしました。
b:不適当です。
これは利の説に基づいた解釈です。
資料には「世間に出て陽の目を見ることも望めない、何の功利があるか分からないが、書を読み道を学ぶより他に方法はない。」
という意味のことが書かれているため、不適切です。
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03
この問題では以下のキーワードを押える必要があります。
吉田松陰は「至誠にして動かざるものは、まだこれあらざるなり」という言葉を残し、自身の信念を貫くことや自己の心情の純粋さを追い求めることの重要性を説きました。
また、吉田松陰は『一君万民論』を唱え、君主が一人存在し、その君主に権威を与え、その一人の君主の下に国民の全員が仕えるべきだとしました。
b 道をわきまえぬことを恥じる心に基づき、人としての道を知る
適切
a 〇
吉田松陰は「至誠にして動かざるものは、まだこれあらざるなり」という言葉を残し、自身の信念を貫くことや自己の心情の純粋さを追い求めることの重要性を説きました。
b 〇
資料より『人と生まれて人の道を知らず……士と生まれて士の道を知らないのは、恥の最たるものではないか。もしこれを恥じる心があるならば、書を読み道を学ぶより他に方法はない。』と記されている為、適切になります。
b 恵まれた境遇が巡ってきたときに、力を発揮する
不適切
a 〇
吉田松陰は『一君万民論』を唱え、君主が一人存在し、その君主に権威を与え、その一人の君主の下に国民の全員が仕えるべきだとしました。
b ×
資料より『世間に出て陽(ひ)の目を見ることも望めない。』『お互いに学問を講じても……、何の功利があるだろうか云々(うんぬん)、というのは、いわゆる利の説である。仁義の説はそうではない。』『書を読み道を学ぶより他に方法はない。』と記されている為、不適切になります。
b 士として生まれた以上、どんな境遇でも、士の道を知る
不適切
a ×
山鹿素行は、武士道を儒学により体系化し、「士道」という武士のあり方を守るべきだとしました。
b 〇
資料より『士と生まれて士の道を知らないのは、恥の最たるものではないか。』と記されている為、適切になります。
b 書物の世界に没頭し、囚人という境遇から自由になる
不適切
a ×
山本常朝は「死ぬこと」に武士道の本質を見いだし、ひたすら主君に献身することとしました。
b ×
資料より『いま我々は囚人となり、また世間に出て陽(ひ)の目を見ることも望めない。お互いに学問を講じても……、何の功利があるだろうか云々(うんぬん)、というのは、いわゆる利の説である。仁義の説はそうではない。』『もしこれを恥じる心があるならば、書を読み道を学ぶより他に方法はない。』と記されている為不適切になります。、
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