大学入学共通テスト(公民) 過去問
令和4年度(2022年度)本試験
問49 (<旧課程>倫理(第3問) 問3)
問題文
Ⅰ 次の会話は、「考えること」をテーマにした倫理の授業中に、ルネサンス期の「魔女狩り」の光景を描いた絵画をめぐって先生と高校生Fが交わしたものである。
先生:魔女狩りでは、国家とキリスト教会に一般の人々も数多く加わって、罪のない人々を魔女とみなし、この絵のように火刑に処するなどしました。
F:人間「再生」の時代と言われるa ルネサンス期にも、こんな側面があったのですね…。人々は、自分が間違っていると考えなかったのかな。
先生:そう、多くの人々が自分たちの判断に正当な根拠があるかを考えず、ある種の思考停止状態に陥って少数の人々を迫害したのが魔女狩りであったとすれば、同様なことは今日でも十分に起こり得るでしょう。
F:例えば、( a )ような場合ですね。考えることを止(や)めてしまったら、自分も現代版の魔女狩りに加担しかねない…。他人事(ひとごと)ではないなあ。
Ⅱ 次の会話は、授業の後にFとクラスメートのGが交わしたものである。
F:思考停止って怖いね。でも、知識さえあれば、b 他人の意見などを鵜呑(うの)みにせず、疑ってみることもできるから、思考停止も避けられるよ。
G:それはどうだろう。例えばこんな言葉があるよ。「あらゆることについて読書した人たちは、同時にあらゆることを理解していると考えられていますが、必ずしもそうではありません。読書は心に知識の素材を提供するだけであり、思考こそが、私たちが読んだものを自分のものにします」。
F:そうか…。知識だけがあればいいってことじゃないのか。これ、誰の言葉?
G:ほら、『人間知性論』を書き、人間の心を「白紙」になぞらえた思想家だよ。
F:ああ、それは( b )んだった。「白紙」は人間が知識を獲得する仕方を一般的に説明するための比喩だったね。その上で、この言葉は、自分の頭で考えることを通してこそ、知識は借り物ではなく、本当に自分のものになると述べているんだね。
下線部bに関連して、デカルトが行った方法的懐疑についての説明として最も適当なものを、次のうちから一つ選べ。
このページは閲覧用ページです。
履歴を残すには、 「新しく出題する(ここをクリック)」 をご利用ください。
問題
大学入学共通テスト(公民)試験 令和4年度(2022年度)本試験 問49(<旧課程>倫理(第3問) 問3) (訂正依頼・報告はこちら)
Ⅰ 次の会話は、「考えること」をテーマにした倫理の授業中に、ルネサンス期の「魔女狩り」の光景を描いた絵画をめぐって先生と高校生Fが交わしたものである。
先生:魔女狩りでは、国家とキリスト教会に一般の人々も数多く加わって、罪のない人々を魔女とみなし、この絵のように火刑に処するなどしました。
F:人間「再生」の時代と言われるa ルネサンス期にも、こんな側面があったのですね…。人々は、自分が間違っていると考えなかったのかな。
先生:そう、多くの人々が自分たちの判断に正当な根拠があるかを考えず、ある種の思考停止状態に陥って少数の人々を迫害したのが魔女狩りであったとすれば、同様なことは今日でも十分に起こり得るでしょう。
F:例えば、( a )ような場合ですね。考えることを止(や)めてしまったら、自分も現代版の魔女狩りに加担しかねない…。他人事(ひとごと)ではないなあ。
Ⅱ 次の会話は、授業の後にFとクラスメートのGが交わしたものである。
F:思考停止って怖いね。でも、知識さえあれば、b 他人の意見などを鵜呑(うの)みにせず、疑ってみることもできるから、思考停止も避けられるよ。
G:それはどうだろう。例えばこんな言葉があるよ。「あらゆることについて読書した人たちは、同時にあらゆることを理解していると考えられていますが、必ずしもそうではありません。読書は心に知識の素材を提供するだけであり、思考こそが、私たちが読んだものを自分のものにします」。
F:そうか…。知識だけがあればいいってことじゃないのか。これ、誰の言葉?
G:ほら、『人間知性論』を書き、人間の心を「白紙」になぞらえた思想家だよ。
F:ああ、それは( b )んだった。「白紙」は人間が知識を獲得する仕方を一般的に説明するための比喩だったね。その上で、この言葉は、自分の頭で考えることを通してこそ、知識は借り物ではなく、本当に自分のものになると述べているんだね。
下線部bに関連して、デカルトが行った方法的懐疑についての説明として最も適当なものを、次のうちから一つ選べ。
- デカルトは、僅(わず)かでも疑わしいものは真ではないとみなす方法的懐疑を経て、精神としての自己の存在を哲学の第一原理として見いだした。
- デカルトは、過誤に陥ることを避けるために、結論を導くことを回避し続ける方法的懐疑を自身の哲学の中で実行し続けた。
- デカルトは、疑わしいものに関する真偽の判断を差し控える方法的懐疑の過程で、数学上の真理だけは疑い得ないことに気付いた。
- デカルトは、自分の感覚を疑うことは不可能であるという経験から出発して、あらゆる知識を方法的懐疑にかけ、その真偽を見極めるに至った。
正解!素晴らしいです
残念...
この過去問の解説 (2件)
01
この問題は、デカルトが行った方法的懐疑についての知識と理解を問うものです。
正しいです。
デカルトは方法としての「懐疑」を経て、全てのものを疑ってみることで、唯一疑い得ない真理として「私は考えている」という事実に至りました。
このことが有名な「我思う、ゆえに我あり(コギト・エルゴ・スム/Cogito ergo sum. )」という言葉に表されています。
誤りです。
「誤謬を避けるために、結論を導くことを回避し続ける」ことは、方法的懐疑ではありません。
確実な真理を見つけるために、方法としての懐疑を用いたからです。
誤りです。
「数学上の真理だけは疑い得ない」という点が誤りです。
デカルトは数学上の真理も疑っています。
誤りです。
「自分の感覚を疑うことは不可能であるという経験から出発」という点が誤りです。
デカルトはまず感覚を疑うところから始めます。
デカルトは、哲学的な手法である「方法的懐疑」を通じて、第一原理を導きました。
「我思う、ゆえに我あり(コギト・エルゴ・スム/Cogito ergo sum. )」は、必ず押さえておきましょう。
参考になった数0
この解説の修正を提案する
02
デカルトの方法的懐疑に関する問題です。
デカルトはすべてを疑い、少しでも疑わしいものは真でないとした(方法的懐疑)上で、それでもなお存在を疑うことができないものは思考している自分自身であるということを発見しました(「我思う、ゆえに我あり」)。
そして、思考する精神としての自己の存在を哲学の第一原理としました。
正しいです。
誤りです。
方法的懐疑は結論を導くことを回避しません。
誤りです。
疑い得ないものは思考する自己のみであり、数学上の真理ではありません。
誤りです。
経験論の立場です。デカルトは経験論の立場はとらず、合理論の立場を取り、自分の感覚も疑いうるものだと考えました。
デカルトの思想は頻出です。しっかりと押さえるようにしましょう。
参考になった数0
この解説の修正を提案する
前の問題(問48)へ
令和4年度(2022年度)本試験 問題一覧
次の問題(問50)へ