大学入学共通テスト(公民) 過去問
令和6年度(2024年度)追・再試験
問49 (<旧課程>倫理(第3問) 問2)

このページは閲覧用ページです。
履歴を残すには、 「新しく出題する(ここをクリック)」 をご利用ください。

問題

大学入学共通テスト(公民)試験 令和6年度(2024年度)追・再試験 問49(<旧課程>倫理(第3問) 問2) (訂正依頼・報告はこちら)

以下を読み、後の問いに答えよ。なお、会話と問いのEとFは各々全て同じ人物である。

次の会話は、ある日の放課後に、高校生EとFが交わしたものである。

E:次回の倫理の授業では「哲学対話」をするって先生が言ってたね。いつもと違うことするのかなあ。趣旨は授業で説明してもらえるみたいだけど。
F:少し調べてみたんだけど、哲学対話は主体的に考えるための練習なんだって。小グループで輪になって話すみたい。
E:「主体的」か…。私、人前で話すのって苦手だな。発言する前に自分にa 偏見がないかどうか気になっちゃって。聴いている方が好きなんだよね。
F:倫理の話題ってデリケートな内容も多いしね。そういう話題だと、ますます話しづらい雰囲気になりそう。
E:人前で堂々と自分の考えを話せる人とか、何でも積極的に参加できる人って羨ましい。私も主体的になれたらなあ。
F:うーん、でもEさんって、いつも倫理の授業をしっかり聴いているし、誰かの深い話にも耳を傾けてくれるよね。そんなEさんは今一つ主体性に欠ける人ってことなの?分からなくなってきた。
E:確かに。b 今ここにいる私はそのままでも主体だよね?それなのに「主体性がない」とか、これ以上「主体的になれ」って言われると、この私が否定されて、なんだか私自身とは疎遠な「主体」に振り回されてる感じがする。
F:前に授業で習ったc フランクフルト学派の考え方っぽい。けど、哲学者はともかく、先生や他の人たちは、主体性って何だと思っているんだろうね。
E:気になる。
F:私たちが今しているみたいな、答えも出そうにない話、哲学対話でしてみてもいいのかなあ。
E:どうかな。私はやっぱりみんなの前でこういう話をするの、不安かも。

下線部bに関連して、自己の実存について論じたキルケゴールの思想の説明として最も適当なものを、次の回答選択肢のうちから一つ選べ。
  • 真の実存に至る道として、感覚的に生きる美的実存から始まり、単独者として神に自己を委ねる宗教的実存を経て、社会的責任を果たす倫理的実存へと至ると説いた。
  • 自己の身体は単なる物体ではなく、意識をもって生きられた身体であり、そうした身体を通して体験される豊かな世界と、自己の実存とは切り離せないと説いた。
  • 死や罪責などの状況に直面した際の絶望を通じて自己を超える超越者に出会い、実存に目覚めるためには、「愛しながらの戦い」である実存的交わりが必要だと説いた。
  • 真理は本来、自己の実存に関わるものであり、理性によって捉えられた一般的で客観的な真理とは異なり、「私にとって真理であるような真理」であると説いた。

次の問題へ

正解!素晴らしいです

残念...

この過去問の解説 (2件)

01

この問題はキルケゴールに関する知識問題です。
キルケゴールについて解説末尾でまとめています。

選択肢1. 真の実存に至る道として、感覚的に生きる美的実存から始まり、単独者として神に自己を委ねる宗教的実存を経て、社会的責任を果たす倫理的実存へと至ると説いた。

2番目と3番目の段階が逆転しています。

選択肢2. 自己の身体は単なる物体ではなく、意識をもって生きられた身体であり、そうした身体を通して体験される豊かな世界と、自己の実存とは切り離せないと説いた。

「身体を通して体験される豊かな世界」ではなく、内面的要素を重視しています。

選択肢3. 死や罪責などの状況に直面した際の絶望を通じて自己を超える超越者に出会い、実存に目覚めるためには、「愛しながらの戦い」である実存的交わりが必要だと説いた。

ヤスパースについての説明になっています。

選択肢4. 真理は本来、自己の実存に関わるものであり、理性によって捉えられた一般的で客観的な真理とは異なり、「私にとって真理であるような真理」であると説いた。

正答です。

まとめ

実存主義は普遍的人間に焦点を当てるのではなく、
人間の中でも特に自分という存在の在り方に着目した考え方です。
この自己の存在は固有で一般化されないものです。
 

その代表者であるキルケゴールについて以下にまとめています。

まず、彼はヘーゲルの弁証法とは対照的な考え方を示し、人間は「あれかこれか」という選択の繰り返しであると考えました。
 

また、彼は客観的真理や客観的な人間の探求を無価値だと考え、

主体的真理や自己の実存的存在に注目しました

主体的真理とは、今回の正答にもなったように、

客観的真理とは異なる、自分にとって真理であるような真理のことです。

 

実存的存在としての自己の在り方について三段階に分割して説明しました。

 ①美的実存感覚的享楽を追求する動物的な生き方

 ②倫理的実存:内面にある道徳心に従って行動する生き方

 ③宗教的実存単独者として神に向き合う生き方

そしてこの段階は絶望の経験を経ることで発展していきます。

最終段階の③では絶望を受容し向き合うことができます。

こうして実存としての生き方が確立されるのです。

 

補足として、彼は敬虔なキリスト教信者です。神への内面的信仰を重視しています。

参考になった数0

02

キルケゴールに関する記述です。

選択肢1. 真の実存に至る道として、感覚的に生きる美的実存から始まり、単独者として神に自己を委ねる宗教的実存を経て、社会的責任を果たす倫理的実存へと至ると説いた。

適切な選択肢ではありません。「美的実存」→「倫理的実存」→「宗教的実存」が「実存の三段階」です。

選択肢2. 自己の身体は単なる物体ではなく、意識をもって生きられた身体であり、そうした身体を通して体験される豊かな世界と、自己の実存とは切り離せないと説いた。

適切な選択肢ではありません。「身体を通じて体験される豊かな世界」というより内面の信仰を重視しました。

選択肢3. 死や罪責などの状況に直面した際の絶望を通じて自己を超える超越者に出会い、実存に目覚めるためには、「愛しながらの戦い」である実存的交わりが必要だと説いた。

適切な選択肢ではありません。ヤスパースに関する記述です。

選択肢4. 真理は本来、自己の実存に関わるものであり、理性によって捉えられた一般的で客観的な真理とは異なり、「私にとって真理であるような真理」であると説いた。

適切な選択肢です。

参考になった数0